写真展
2008年 2月7日(木) ~ 2月21日(木) 期間中無休
参加費 ドリンク代
13時~22時まで (最終日は20時まで)
cafe&gallely CHAKRA
http://www.chakra-jp.com/
大阪市北区菅原町6-12
06-6361-2624
2月11日 (月・祝日) スライドショー 16時~ 参加費 ドリンク代
2月17日 (日) ヒマラヤを越える子供達 上映会 参加費 ドリンク代
当日は、DVDを販売します。
売り上げは、全てチベットサポートKIKUを通じて、全てチベット難民支援に寄付させて頂きます。
よろしくお願いしま~す☆
写真を見てからでも、見る前でも、逆に読まなくても、自由ですが、、、
時間がある時にでも読んでほしい~^^
この旅から帰って一ヶ月。
長野県で、山に行く時の車の中で倒れ、そのまま病院へ運ばれた。
意識が戻ったのは三日後だった。
今、生きてることに感謝します。
2008年1月12日
私の旅のこだわりを書きたいと思う。
今回は、ずっと憧れ続けたネパール・アッパートルボへの旅です。
未知踏進
自分の中で未知の世界を一歩ずづ進む
私の中で旅と旅行は全く違う世界。
旅は、心の底から行きたいと思う場所、魂が揺さ振られる場所、99.9%ではダメなのだ。
行きたい意味なんていらない。
行きたいというよりも、その場所に呼ばれる、100%以上そう感じる事が大切なのだ。
旅には、妥協が許されない。
そのこだわりで、ここ10年自分の旅を追いかけてきた。
そして今年11年目。
河口慧海師の足跡を辿りたい、西北ネパール、トルボへ
一般的に入れる箇所は、チベット側(2003年)、ネパール側(2004年)へと個人手配でガイドを付けて単独で行った。
それ以上は、もう個人的には無理だった。
夢のような場所、ずっと憧れた場所、簡単には行けない場所。
単独では許可がおりない、私は単独で個人での移動を選んでたので行ける範囲ではなかった。
そしてたとえ旅の相方を見つけたとしても、慧海の道を知ってる人はいないだろう。
でも、行ける時が来るまで待とうと思っていた。
いつか行ける日が来るまで、、、しかし、いつになるか想像も出来ない世界だった。
私の一番のこだわりは、峠。
慧海師がネパールからヒマラヤ越えてチベットに入った峠だった。
1999年 大阪山の会西北ネパール学術登山隊がトルボの11ケの峠の内7ヶを踏査して、以後2006年まで何度も入域調査して慧海師のチベット越境峠の断定をしていた。チベット側の調査も日本山岳会関西支部学術登山隊が2004年にネパール側も含め現地入りして、その峠が明らかにされた。(隊長のコメント頂きましたー)
同時に100年ぶりに日記が発見されるという絶妙なタイミングだった。
そして私もちょうどネパールへ旅に出ていた。
一般的に入れるギリギリでのトレッキングだった。
あれから、2005年ネパール・イムジャツェ(6160M)に登った。
そして、2006年は、旅の原点、ベトナム&カンボジアへ
ベトナムでは初心の心を思い出させてくれた。
そして、やはり山だった、私には山が大きい存在だった。
昨年の春、たまたま大阪民族博物館で河口慧海師の特集を組んでる本を見つけた。
また、思いが蘇ってきた。
3年前、峠を明らかにした大阪山の会の隊長さんが記事を書いていた。
やっぱり行きたい、魂の揺さ振りを感じた。
でも簡単には行けない、そんなことは前からわかってる。
何もしないで待つのは何かが違う。
ただ待っていてもチャンスは来ない、とりあえずまた調べてみよう。
ネパール人友達に連絡したり、インターネットでの情報収集、自分で出来る範囲内を調べつくした。
でも、状況は変わってない。。。どうしようか。。。
3年前にも隊長さんに地図を送って欲しいとメールをした事があった。
そしてまた何度かメールをしてみたがアドレスが変更されていてなかなか連絡がとれなかった。
すると私のお客さんの友達で、隊長さんの後輩の方がいらっしゃった。
たまたま私のブログを読んでその方がレスを書いてくれたのだ。
そして早速連絡してメールアドレスを教えて欲しいとお願いした。
思いもよらない展開でいきなり連絡が取れて家にお邪魔させてもらった。
私の憧れの土地を研究されてる方というよりも、西北ネパールの第一者、日本的に、いや世界的に素晴らしい探検家なのだ。
私みたいなのが、ヒョコヒョコ行っていいものか?など、玄関口で思ったが。。。
すごかった、、、、、、優しさと強さと信念を持った人間だった。
その偉大な探検家O隊長が今年の夏はトルボに行くよ!
なんていうタイミングだろう?!絶妙すぎる!!
数年憧れ続け一度は諦めかけた夢、でもどうしても諦めきれなかった夢の場所、トルボだ。
そして行きたいなら行けるよ、突然の参加に笑顔で答えてくれた。
ただトルボに行くだけじゃない、河口慧海師プロジェクト、日本山岳会関西支部西チベット登山隊、O隊長さんと行くのだ、信じられない世界である。
これは行くしかない、正直いろんな事が厳しい状況だけど、こんなチャンス二度とないと思った。
全てをかけてでも行きたいと思った。
未知踏進、これ以上の場所は存在しない。
2007年6月