VISION
ヴィジョンは、およそ人間の頭が作り出さるようなものではない。
それは、求めた人間だけにグレイトスプリットから、あくまでも答として与えられるものであり、およそ作り出せるようなものではない。
その全体を細かに明らかにしたことは一度もない、
きわめて個人的なものであり、誰にであれそれを明らかにしてはならないこととされている。
ヴィジョンは、生き物のように固定化を嫌うし、それを生かしておく為に絶えず新しい力を必要とするから、一度それを持った人間は、それを常に新しいヴィジョンと入れ替える作業を続けなくてはならない。
しかも、与えられたヴィジョンがどれくらいの力を持ってるか、それはサインなのかそれとも前兆なのか、どんな意味を持ってるかを本当に知っているのは、そのヴィジョンを求め続けてる人間だけなのである。
ヴィジョンとは、その人個人に与えられる導きの力である。
この事に、気付いたのは、ローリングサンダーとの出会いであった。
北山耕平さんとの本であった。
それまでは、前者のように思ってた。
ヴィジョンとは、将来の展望、長期事業計画だと。。。
違った、全く違った。
そして、気付いた、そして、驚いた。
しかし、個人的なものであり、誰にであれそれを明らかにしてはならないこととされているので、明らかにはしない。
ただ、全てのものには、正しい時と場所がある。
私のこの10年ほどが、そうだったのだ。
それが、未知踏進なのである。