黄檗山萬福寺
先日、京都の黄檗宗萬福寺での講演が終わりました。
高山龍三先生の枠で少しお時間を頂き、ありがとうございました!
萬福寺は、河口慧海が最後にいたお寺です、チベット行きを決めた場所!
ここで、漢語に音訳された仏典に疑問を覚え、本来の教えの意味が分かるものを求めて、
梵語の原典とチベット語訳の仏典入手を決意し、単身チベットへと計画した。
そちらで、なんと高山先生とご一緒させて頂き、発表するという、
もうなんて言っていいかわからないぐらいの感激でした~!
本当にありがとうございました!
今までやってきたことが、ここまで繋がるとは?!
思ってもみなかった、想像すらしてなかったことでした。
私は、専門家でもなんでもありません。
お寺の娘でもなく、仏教の事も全く詳しくないし、
職業は、美容師なもので、大学なんぞ行ってない、専門学校卒だけ^^
慧海のただもんでない精神力に惚れたのです。
そして、運命の出会いだと感じた。
たまに、何故、そんなに慧海がいいのか?!って聞かれるので、ちょっと長いが書いておこう。
何故、運命的な出会いを感じたのか?!
それは、慧海がリウマチだったこと。
記録では、そんなに詳しい事は一切書いてない。
たまにリウマチがうずく・・・の程度しか書かれてない。
でも、私ならわかる、同じ持病のリウマチを持ってるから・・・。
想像を絶する世界やと思います。
どれだけの痛みに耐えて、ヒマラヤの山々を歩いたのか・・・!
痛みで夜中に目覚める時もあれば、痛くて寝れない時もある。
朝起きたら身体固まって動かない、痛くて動きたくない日々は、私は10年以上も続いた。
数時間したらボチボチ動いてくる、でも痛い。
痛くない日はなかった、毎日が痛みとの戦いだった。
(今は、脱出出来た = 骨が変形し、くっ付いたから痛みが収まった)
そんな身体なのに、慧海は、寒さを羊を包まって耐えていたり?!
痛過ぎた時は瞑想してたり・・・・?!
リウマチじゃなくても、ハードな旅ですよ、今とは何もかも違う。
しかも、チベットは鎖国時代の1900年。
今みたいな情報など全くない世界の中、装備も違えば、薬も違う、チベット入り計画。
誰に話ししても止められる、死にいくようなもんだ。
一人でなんぞ行けるわけがない、はずがない!
そんな中、行っちゃうんだよね~~、惚れるでしょ^^
お分かり頂けましたでしょうか?!
究極の意思がないと実行出来ない行動力に引き込まれました^^
ってことで、私も同じルート歩きたいと思って計画したのが、はじまりで2002年の冬だった。
その時は、初めてのネパールトレッキングを経験して帰国して興奮していた。
っていうのも、ヒマラヤトレッキングで自然地癒力に目覚めた時だったから。
(これは、また別の時に書こう)
2003年、チベット・カイラス巡礼に行った。
観光シーズンを避けての秋の終わり、単独で車をチャーターし、ガイドとドライバーを付けて行った。
ラサでは、慧海のいたセラ寺に行き、その時出会ったチベット人で慧海の事は知ってる人がいなかった・・・。
2004年、ネパール側で単独で行ける範囲内・カグベニ、ムクチナート巡礼に行った。
マルファ、ツクチェでは、慧海の滞在した部屋が今でもある。
そして、後は、アッパームスタン、アッパートルボだ。
これまでは、個人で楽しんでいた世界だったのだが、
いきなり思いが届いたのが2007年、初めてのトルボ入りを果たす!
慧海ルートの研究者・(故)大西保バラサーブの隊に飛び込み参加!
トルボの核心部を一緒に歩かせて頂き、越境した峠・クン・ラにたった時の興奮は今でも覚えてる。
そして、2007年にバラサーブが聞き出したシェーの大祭の事。
当時は行こうって言ってたけど、何年だったかな、忘れたけど、途中で行かないと言い出した。
でも、私は行きたかった、どうしても行きたかった。
行きたい思いを何度もメールした、最後の私のしつこい!?メールは、カトマンズでバラサーブと入れ違いだったことも今でも覚えてる・・・^^
しかし、バラサーブには何度も反対された。
2012年、もうトルボは変わってしまった、お前が想像してるような時代は終わったのだ、行ったら悲しくなるぞ、古典的なトルボは終わったんだ・・・、と言われた。
確かに、私もそう思った、でも、どうしてもどうしても行きたかった。
今の時代のトルボを、伝統をこの目で見たかったのだ。
だから、メンバーを探して、トレーニングを重ねて行く事を決行した。
最終的には、応援してくれて、最後まで相談にのってくれた。
今回、発表させて頂いたのは、シェー山を慧海が巡した1900年に、2007年、2012年に私が巡礼した時の写真。
そして、2012年のシェーの大祭のスライドショーを流しました。
貴重な経験をさせて頂き、本当に感謝しております。
ありがとうございました!
この日は、高山先生と沢山お話が出来て、時間を共有出来たことに感激でした。
それが、また、慧海がいた萬福寺ときたもんだ!
最高でした~~!
バラサーブが寄贈された石。
シェー・スムド・ゴンパのラプラン・トンドゥ・リンポチェから授かったものです。
その時のブログ。
http://plaza.rakuten.co.jp/typhoondolpo/diary/201310100000/
ヒマラヤ杉の前で、高山先生と森田さん。
慧海がネパールに寄贈したものと思われる和装の仏書275点。
ネパール大王に宇治・黄檗寺の「黄檗版一切経」を献上したとされる。
現地調査した高山龍三先生と森田さんがネパール古文書館に全巻保存されていることを確認したという。
綺麗に残りすぎて・・・、ネパール人は読んでないかも!?!っと^^
この日は、森田さんが私の装備の一式を常に運んで頂きありがたかったです。
ポーターさんになってもらって・・・すんません、助かりましたーーありがとうございましたーー^^!
森田さん(公益社団法人日本ネパール協会 関西支部事務局長・国立民族博物館客員研究員)
高山先生のフィールドワークは、今も現役です。
菩提樹の種を拾いにいかないか?!
改めてフィールドワークの面白さ、目、角度?!感じさせて頂きました。
常にアンテナはたっている~~勉強になりました!
懇親会では・・・・
高僧の僧侶様が沢山いらっしゃいまして・・・、迫力ありました~~!
ネパールか、チベットでしかみた事ない、笑!
そんな中、皆さん色々話しかけて頂き感謝でしたね。
ありがとうございました!
余談ですが・・・
朝、ちょっと早めに出て宝蔵院に寄った。
鉄眼一切経版木、重要文化財!
驚きでした~~~迫力満点!
ここは、どこだ?!チベットか!?と思うぐらい・・・
一瞬にしてどっかに迷い込んだようになる。
中からチベット人風の伯父さまが登場し、話しが盛り上がりすぎた^^
私が慧海が好きやねんって話したら、機関銃トークが始まりまして、、、
とっても詳しく教えて頂いたが、時間が少なくて残念でした。
また、お会いしたい方が出来て、楽しみが出来た。
また行きたい京都・黄檗山萬福寺!
今回の発表を経験させて頂き、なんだか、もう、天からの使命を感じでしまった。
ただ好きな事だけを追いかけてきたつもりだったけど・・・
こんなに繋がってきたもんだから・・・
去年のムスタンでは、慧海像発見の事もあったし・・・
なんだこれは!?の続きである・・・。
ってことで、また行きたいって気持ちがもちろんあるんだけど
行かなければならない! 行けって、ことみたいです^^
慧海ルート!からお誘いがかかってきてるように感じるこの頃。
と、思って、再度本を読みなしに入ったら、6月25日だった。
6月25日は、慧海がチベット越境に向けて大阪を出発し、神戸の波止場から和泉丸に乗船した日。
どこまでも続くミラクルを私はやっぱり追いかけることにする^^
高山龍三先生の枠で少しお時間を頂き、ありがとうございました!
萬福寺は、河口慧海が最後にいたお寺です、チベット行きを決めた場所!
ここで、漢語に音訳された仏典に疑問を覚え、本来の教えの意味が分かるものを求めて、
梵語の原典とチベット語訳の仏典入手を決意し、単身チベットへと計画した。
そちらで、なんと高山先生とご一緒させて頂き、発表するという、
もうなんて言っていいかわからないぐらいの感激でした~!
本当にありがとうございました!
今までやってきたことが、ここまで繋がるとは?!
思ってもみなかった、想像すらしてなかったことでした。
私は、専門家でもなんでもありません。
お寺の娘でもなく、仏教の事も全く詳しくないし、
職業は、美容師なもので、大学なんぞ行ってない、専門学校卒だけ^^
慧海のただもんでない精神力に惚れたのです。
そして、運命の出会いだと感じた。
たまに、何故、そんなに慧海がいいのか?!って聞かれるので、ちょっと長いが書いておこう。
何故、運命的な出会いを感じたのか?!
それは、慧海がリウマチだったこと。
記録では、そんなに詳しい事は一切書いてない。
たまにリウマチがうずく・・・の程度しか書かれてない。
でも、私ならわかる、同じ持病のリウマチを持ってるから・・・。
想像を絶する世界やと思います。
どれだけの痛みに耐えて、ヒマラヤの山々を歩いたのか・・・!
痛みで夜中に目覚める時もあれば、痛くて寝れない時もある。
朝起きたら身体固まって動かない、痛くて動きたくない日々は、私は10年以上も続いた。
数時間したらボチボチ動いてくる、でも痛い。
痛くない日はなかった、毎日が痛みとの戦いだった。
(今は、脱出出来た = 骨が変形し、くっ付いたから痛みが収まった)
そんな身体なのに、慧海は、寒さを羊を包まって耐えていたり?!
痛過ぎた時は瞑想してたり・・・・?!
リウマチじゃなくても、ハードな旅ですよ、今とは何もかも違う。
しかも、チベットは鎖国時代の1900年。
今みたいな情報など全くない世界の中、装備も違えば、薬も違う、チベット入り計画。
誰に話ししても止められる、死にいくようなもんだ。
一人でなんぞ行けるわけがない、はずがない!
そんな中、行っちゃうんだよね~~、惚れるでしょ^^
お分かり頂けましたでしょうか?!
究極の意思がないと実行出来ない行動力に引き込まれました^^
ってことで、私も同じルート歩きたいと思って計画したのが、はじまりで2002年の冬だった。
その時は、初めてのネパールトレッキングを経験して帰国して興奮していた。
っていうのも、ヒマラヤトレッキングで自然地癒力に目覚めた時だったから。
(これは、また別の時に書こう)
2003年、チベット・カイラス巡礼に行った。
観光シーズンを避けての秋の終わり、単独で車をチャーターし、ガイドとドライバーを付けて行った。
ラサでは、慧海のいたセラ寺に行き、その時出会ったチベット人で慧海の事は知ってる人がいなかった・・・。
2004年、ネパール側で単独で行ける範囲内・カグベニ、ムクチナート巡礼に行った。
マルファ、ツクチェでは、慧海の滞在した部屋が今でもある。
そして、後は、アッパームスタン、アッパートルボだ。
これまでは、個人で楽しんでいた世界だったのだが、
いきなり思いが届いたのが2007年、初めてのトルボ入りを果たす!
慧海ルートの研究者・(故)大西保バラサーブの隊に飛び込み参加!
トルボの核心部を一緒に歩かせて頂き、越境した峠・クン・ラにたった時の興奮は今でも覚えてる。
そして、2007年にバラサーブが聞き出したシェーの大祭の事。
当時は行こうって言ってたけど、何年だったかな、忘れたけど、途中で行かないと言い出した。
でも、私は行きたかった、どうしても行きたかった。
行きたい思いを何度もメールした、最後の私のしつこい!?メールは、カトマンズでバラサーブと入れ違いだったことも今でも覚えてる・・・^^
しかし、バラサーブには何度も反対された。
2012年、もうトルボは変わってしまった、お前が想像してるような時代は終わったのだ、行ったら悲しくなるぞ、古典的なトルボは終わったんだ・・・、と言われた。
確かに、私もそう思った、でも、どうしてもどうしても行きたかった。
今の時代のトルボを、伝統をこの目で見たかったのだ。
だから、メンバーを探して、トレーニングを重ねて行く事を決行した。
最終的には、応援してくれて、最後まで相談にのってくれた。
今回、発表させて頂いたのは、シェー山を慧海が巡した1900年に、2007年、2012年に私が巡礼した時の写真。
そして、2012年のシェーの大祭のスライドショーを流しました。
貴重な経験をさせて頂き、本当に感謝しております。
ありがとうございました!
この日は、高山先生と沢山お話が出来て、時間を共有出来たことに感激でした。
それが、また、慧海がいた萬福寺ときたもんだ!
最高でした~~!
バラサーブが寄贈された石。
シェー・スムド・ゴンパのラプラン・トンドゥ・リンポチェから授かったものです。
その時のブログ。
http://plaza.rakuten.co.jp/typhoondolpo/diary/201310100000/
ヒマラヤ杉の前で、高山先生と森田さん。
慧海がネパールに寄贈したものと思われる和装の仏書275点。
ネパール大王に宇治・黄檗寺の「黄檗版一切経」を献上したとされる。
現地調査した高山龍三先生と森田さんがネパール古文書館に全巻保存されていることを確認したという。
綺麗に残りすぎて・・・、ネパール人は読んでないかも!?!っと^^
この日は、森田さんが私の装備の一式を常に運んで頂きありがたかったです。
ポーターさんになってもらって・・・すんません、助かりましたーーありがとうございましたーー^^!
森田さん(公益社団法人日本ネパール協会 関西支部事務局長・国立民族博物館客員研究員)
高山先生のフィールドワークは、今も現役です。
菩提樹の種を拾いにいかないか?!
改めてフィールドワークの面白さ、目、角度?!感じさせて頂きました。
常にアンテナはたっている~~勉強になりました!
懇親会では・・・・
高僧の僧侶様が沢山いらっしゃいまして・・・、迫力ありました~~!
ネパールか、チベットでしかみた事ない、笑!
そんな中、皆さん色々話しかけて頂き感謝でしたね。
ありがとうございました!
余談ですが・・・
朝、ちょっと早めに出て宝蔵院に寄った。
鉄眼一切経版木、重要文化財!
驚きでした~~~迫力満点!
ここは、どこだ?!チベットか!?と思うぐらい・・・
一瞬にしてどっかに迷い込んだようになる。
中からチベット人風の伯父さまが登場し、話しが盛り上がりすぎた^^
私が慧海が好きやねんって話したら、機関銃トークが始まりまして、、、
とっても詳しく教えて頂いたが、時間が少なくて残念でした。
また、お会いしたい方が出来て、楽しみが出来た。
また行きたい京都・黄檗山萬福寺!
今回の発表を経験させて頂き、なんだか、もう、天からの使命を感じでしまった。
ただ好きな事だけを追いかけてきたつもりだったけど・・・
こんなに繋がってきたもんだから・・・
去年のムスタンでは、慧海像発見の事もあったし・・・
なんだこれは!?の続きである・・・。
ってことで、また行きたいって気持ちがもちろんあるんだけど
行かなければならない! 行けって、ことみたいです^^
慧海ルート!からお誘いがかかってきてるように感じるこの頃。
と、思って、再度本を読みなしに入ったら、6月25日だった。
6月25日は、慧海がチベット越境に向けて大阪を出発し、神戸の波止場から和泉丸に乗船した日。
どこまでも続くミラクルを私はやっぱり追いかけることにする^^
by talkeetna6194
| 2015-06-29 00:15
| 旅の世界観