植村直己さんの兄・修さん
植村直己さんの兄・修さんが亡くなられました。
連絡を頂きました。
ビーバスがこないだ・・・なんとも悲しいことが続いてる。
産まれてきたから、人はみな死に向かっている、頭では、わかっちゃいるけど・・・
生と死
わかっちゃいるけど、辛いなぁ。
修さんは、生前、私にとって光を与えてくれた。
私は、直己さんファンにすぎない、そんなのいっぱいいるだろう、直己さんの影響で山を始めた人、人生事態が大きく変わった人、影響を受けた人は、いっぱいいるだろう。
私は、そんな中の一人だ。
そんな一ファンに修さんは、凄いプレゼントをしてくれた。
いきなり電話がかかってきたんだ・・・笑。
私が修さんに宛てた手紙を修さんの本に載せてくれた。
その手紙を書いてから3年後の出来事だった。
ちょうど私はアラスカから帰ってきて、興奮したそのまま書いて出したこと今でも覚えてる。
その当時の日記は、これだ・・・。
2007年に始めてお会いした、それから毎年会いに行くようにしていた。
以前からずっと私は毎年冒険館に行っていて、2007年からは修さんに会えることも楽しみになっていた。
http://denali6194.exblog.jp/5236632
植村直己さんの影響で私は山という世界を知ることが出来て、病気と立ち向かう勇気をもてた。
これは、私にとっては、計り知れないことなんだ。
その直己兄さん、修さん、本当にとっても温かい方だった。
偉大な冒険家になった弟を持つ兄、いろんな苦労が見え隠れした。
去年は、タイミング悪く会えなかった・・・。
だから今年はタイミング狙って行こうと思っていた矢先だった・・・。
悔しいな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いつもこれが最後になるかも?って思ってはいたけど、やっぱ現実になったらキツいな・・・。
一番最初にお会いした時が一番印象に残ってる。
大阪から仕事終わって車で向かった、植村直己さんの生家だ。
その頃の家は、当時のままだった。
遅くに着いたのに、笑顔で迎えてくれて、喋る喋る・・・笑。
びっくりするぐらいお話してくれた。
生家に泊めて頂いて、私は興奮状態!?!でも、運転疲れで爆睡してたけど・・・笑。
朝まで喋る勢いの奥様もいて、ほんと面白かった。
それから毎年のように会いにいっても、毎回笑顔で迎えてくれた。
生家の前に、手作りの植村直己記念館があった。
当時も閉めていたけど、見せてくれた。
愛情たっぷりの手作りの記念館だった。
そこには、貴重な物がいっぱいだった。
今の新しい冒険館もいいけど、修さん手作りの記念館は愛情を感じずにはいられない。
入った瞬間、ウルウルしたぐらい。。。
その中からのレプリカをプレゼントしてくれた。
千早の家に、毎日目が行くところに置いてる。
直己さんのレプリカの書に、修さんの手作りの額だ。
手作りの記念館内・修さん
ここ数年、会いに行く度に身体が小さくなっていくのを感じていた。
でも、心はいつも温かくて大きかった。
修さん ほんとにありがとうございました。
修さんから頂いた光、忘れません。
それから・・・また続きますが、、、
植村直己さんが始めてヒマラヤ登った時のシェルパ、ペンパさんもこの3月に亡くなられました。
ちょうどこの3月にトレッキング行っていたので、知ることが出来ました。
ゴジュンバカンを一緒に登った時のシェルパです。
ゴジュンバカンは、ゴーキョピークに登ったら見えます。
生前は、エベレストビューホテルで働いてました。
私は、教えてもらって2回ほどホテルで会いに行ったことがある。
いきなりきた日本人に、笑顔で対応してくれました。
ナムチェ付近の休憩中のロッジでたまたまペンパさんの話をしてた時に、隣でいたネパリが教えてくれた。
ついさきんだよって・・・。
死
わかっちゃいるけど、辛いな。。。
人はみな死ぬんだけど、だからこそ精一杯生きてる
私も、精一杯生きたい
修さん、ペンパさん。
ご冥福をお祈りします。。。
連絡を頂きました。
ビーバスがこないだ・・・なんとも悲しいことが続いてる。
産まれてきたから、人はみな死に向かっている、頭では、わかっちゃいるけど・・・
生と死
わかっちゃいるけど、辛いなぁ。
修さんは、生前、私にとって光を与えてくれた。
私は、直己さんファンにすぎない、そんなのいっぱいいるだろう、直己さんの影響で山を始めた人、人生事態が大きく変わった人、影響を受けた人は、いっぱいいるだろう。
私は、そんな中の一人だ。
そんな一ファンに修さんは、凄いプレゼントをしてくれた。
いきなり電話がかかってきたんだ・・・笑。
私が修さんに宛てた手紙を修さんの本に載せてくれた。
その手紙を書いてから3年後の出来事だった。
ちょうど私はアラスカから帰ってきて、興奮したそのまま書いて出したこと今でも覚えてる。
その当時の日記は、これだ・・・。
2007年に始めてお会いした、それから毎年会いに行くようにしていた。
以前からずっと私は毎年冒険館に行っていて、2007年からは修さんに会えることも楽しみになっていた。
http://denali6194.exblog.jp/5236632
植村直己さんの影響で私は山という世界を知ることが出来て、病気と立ち向かう勇気をもてた。
これは、私にとっては、計り知れないことなんだ。
その直己兄さん、修さん、本当にとっても温かい方だった。
偉大な冒険家になった弟を持つ兄、いろんな苦労が見え隠れした。
去年は、タイミング悪く会えなかった・・・。
だから今年はタイミング狙って行こうと思っていた矢先だった・・・。
悔しいな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いつもこれが最後になるかも?って思ってはいたけど、やっぱ現実になったらキツいな・・・。
一番最初にお会いした時が一番印象に残ってる。
大阪から仕事終わって車で向かった、植村直己さんの生家だ。
その頃の家は、当時のままだった。
遅くに着いたのに、笑顔で迎えてくれて、喋る喋る・・・笑。
びっくりするぐらいお話してくれた。
生家に泊めて頂いて、私は興奮状態!?!でも、運転疲れで爆睡してたけど・・・笑。
朝まで喋る勢いの奥様もいて、ほんと面白かった。
それから毎年のように会いにいっても、毎回笑顔で迎えてくれた。
生家の前に、手作りの植村直己記念館があった。
当時も閉めていたけど、見せてくれた。
愛情たっぷりの手作りの記念館だった。
そこには、貴重な物がいっぱいだった。
今の新しい冒険館もいいけど、修さん手作りの記念館は愛情を感じずにはいられない。
入った瞬間、ウルウルしたぐらい。。。
その中からのレプリカをプレゼントしてくれた。
千早の家に、毎日目が行くところに置いてる。
直己さんのレプリカの書に、修さんの手作りの額だ。
手作りの記念館内・修さん
ここ数年、会いに行く度に身体が小さくなっていくのを感じていた。
でも、心はいつも温かくて大きかった。
修さん ほんとにありがとうございました。
修さんから頂いた光、忘れません。
それから・・・また続きますが、、、
植村直己さんが始めてヒマラヤ登った時のシェルパ、ペンパさんもこの3月に亡くなられました。
ちょうどこの3月にトレッキング行っていたので、知ることが出来ました。
ゴジュンバカンを一緒に登った時のシェルパです。
ゴジュンバカンは、ゴーキョピークに登ったら見えます。
生前は、エベレストビューホテルで働いてました。
私は、教えてもらって2回ほどホテルで会いに行ったことがある。
いきなりきた日本人に、笑顔で対応してくれました。
ナムチェ付近の休憩中のロッジでたまたまペンパさんの話をしてた時に、隣でいたネパリが教えてくれた。
ついさきんだよって・・・。
死
わかっちゃいるけど、辛いな。。。
人はみな死ぬんだけど、だからこそ精一杯生きてる
私も、精一杯生きたい
修さん、ペンパさん。
ご冥福をお祈りします。。。
by talkeetna6194
| 2013-05-24 20:12
| 日常日記