凹んでたー
大家さん的存在、自分の本当のじーちゃんのような存在。
突然、聞かされて飛んで帰った。
すでに、納骨も終わっていて信じられなかった。
最後、会えなかったのが悔しくて、悔しくて、凹んだ。
なんであんとき、会いにいかなかったのだっ・・・・
ここ最近、何度か電話があって、会いにきてや~、イベントやろうや~って、言っていた。
畑やりたい友達おらんか??、誰かおったら言うてや~!って。。。
会いにいこうと思いつつ、会いにいけてなかった。。。
お墓の前で、ごめんね、ごめんね、、号泣した。
一瞬一瞬、一度しかない。
今を大事にせなあかん。。。
今、いこう、やろう、思ったときに、行動せなあかん。。。
また会える、って。。。思っていたけど、または・・・なかった。
最近の自分に凄い考えさせられた。
Tじーちゃんの息子さんとお話出来る機会があった。
実は、おばーちゃんも前日亡くなった。
でも、じーちゃんの方が先に危なかって、息子さんがおばーちゃん見届けやなあかんでって。。
そこで、じーちゃんは復活した。
おばーちゃんを見届けて・・・・次の日、じーちゃんは安心したかのように続いて亡くなった。
じーちゃん、最後の最後まで、かっこよかった。
生前、おばーちゃんと手を繋いでお散歩してるところを何度もみた。
おばーちゃんが施設に入ってからも、週に何度もお見舞いに行っていた。
サンドイッチ作って持って行ってたり、差し入れは必ず。
80歳を過ぎて、こんなに優しいんだって、おばーちゃん幸せやな~って感動した。
そのじーちゃんが、最後の最後、おばーちゃんを見届けてから・・・・って、、
どこまでかっこええねん、じーちゃん・・・・
千早に来て4年が過ぎたんだけど、村っていう、この山奥の生活に馴染めたのも、じーちゃんのおかげやった。
じーちゃんがいなかったら、無理やったと思う。
隣にじーちゃんがいるからって、何度も安心した。
何かあったらじーちゃんのとこにいこ、何かあったらじーちゃんに聞こう、何かあったら・・・・
そのじーちゃんがもういない。。。
大きな存在だった。
じーちゃんと千早で過ごした3年間、貴重やった。
それを今、写真でまとめて、自分の中で整理している。
スライドショー作っては、一人で泣いて・・・笑
もう、泣きすぎや、そろそろ切り替えやなと、今日、思った。
まだ、泣けるけどな~笑
写真はまとめてご家族の方にプレゼントしたいと思ってる。
千早赤阪村は、昭和初期を中心に凍豆腐の製造が盛んに行われていた。
凍豆腐の歴史は、今から200年以上前にはすでに始まっており、昭和20年頃が盛んだった。
最後の幕を閉じたのは、じーちゃんです!!
家でイベントする時に、いつも貴重なお話をしてもらっていた。
http://denali6194.exblog.jp/i10/
いつまでも絶対忘れない、ありがとう、Tじーちゃん!!
Tじーちゃんと出会った人生に感謝!
おばーちゃんと安らかにお眠り下さい・・・・
金剛山に眠る。