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Denali

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ポン教

昨日、ミンパクの企画展、チベット・ポン教の神がみ、行ってきた~。
こないだは、せっかく行ったのに、、、インフルレンザで閉まっていた。
ガーーーン、、せっかくここまで来たのに、キレかけた!?
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今回はちゃんと確認しての出発~。
ポン教とは、なんぞや?!
そんなん難しいでありますが、、私はとても興味深く、ポン教のお寺に行っておりますんで、、勉強っせなあっかんーと思って行った。
でも、難しいや~。でも好きなんだあ~この世界~?!

ポン教 

孤立したヒマラヤの避村には、今でもポン教徒とお寺が存在している。
このポン教とは、一帯どういうものなのであろうか?
北インドで興った仏教が、チベットへ入ったとき、その土着の宗教として結合して、多分に変形していった。
この仏教がいわゆるラマ教であるが、チベット固有の進行がポン教と目される。
しかし、このポン教自身も遂にラマ教(チベット仏教)に刺激され、組織化されて制度化されたのである。
西北ネパールのトルボ地方のポン教は、原始的なそれでなく、ラマ教強された方のポン教である。
だから、うっかり見過ごす程の差異しかない。

ポン教は、ラマ教とどこか違うのだろう?
例えば経石塚や仏塔のそばを通るとき、右側通行か、左側通行かというのが違っている。
マニ車の廻しかた、仮面のおどりの輪舞の廻り方、東西南北の呼び方などすべて両派で反対である。
ラマ教徒は時計廻り、ポン教徒は反時計廻りである。

ラマ教徒が、「オンマニペメフム」と経文を唱えれば、ポン教徒は、「オムマティムイェサレドゥ」と祈る。
月例集会も別々で行う。

引用  
[ヒマラヤ / 秘境に生きる人びと]
川喜多二郎氏・高山龍三氏  昭和37年発行   

このぐらいは、チベットに行った人なら誰でも知ってるだろう~

で、難しいことは、置いといて。。って、置いといたらあかん、ちゃんと本、買ってきた、
出発までに読めるだろうか?!!!!
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ぺらぺら捲ってみたけど、やっぱ難しいや~笑

トルボの玄関口というのだろうか、ツァルカ村でみた、ポン教のお寺。
それは、川を挟んで対岸越しある。
なんでそんなとこにあるねーん?!っと、突っ込み入れたくなるような・・笑
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1958年撮影 高山龍三氏 
っで、たどり着いた先は、こちら...
私撮影、2007年、でも、綱渡りしてません、縄はあったけど~。
上から見ると~縄、見えるね。
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今は、危ないから使ってない、馬で渡渉していたのを見た。
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バクチャム(仮面踊り) 
ポン教徒・反時計まわり・ツァルカにて  1958年撮影 高山龍三氏 
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この辺りの1958年代の写真を見ていると、全然変わってない!?!
1958年撮影 高山龍三氏
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2007年撮影 私
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っで、気になったのがこの角度からの写真、ヘコピークが遠くに見える。
1958年撮影 高山龍三氏
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2007年撮影 私
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似てる・・・・同じ場所かな、当時もこのヘコピークが目印になってたらしい。
山は、いろんな角度で違う山に見えてしまうけど、このヘコピークだけはどこから見てもこの形に見えるからだって、納得~!
あ、話がそれてきたかな、、もどそう。。。
ポン教のマンジ 2007年撮影 私
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お寺の中  2007年撮影 私
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ポンパ・タシ・ギャルチェン2007年撮影 私
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で、今回の遠征でもポン教のお寺ありです、サムリンゴンパ!
さて、どんなどころにあるのだろうか!?とても楽しみなのだ~!

あと、ほろびゆく村、ポパー。
トルボ地方の果てにあるポパー村は、今はもうなくなっているかもしれない。。。
っと、ヒマラヤ・秘境に生きる人びと(昭和37年発行)に書いてるけども、バラサーブから滅んでないでーこの村~っと、聞いている。
それを自分の目で見てみたいのだ!

引用すると・・・
この村を訪れた最初の外国人である我々は(川喜多二郎隊)、この村が3年先に放棄され、村人が分散していくだろうと聞かされたからである。
氷河が融けて、湧き出る水がかれてきたのであろうか。
棄てられた畑のあとがあちこちにある。
人間も流れ出ていったのか、空家もある。
人口は、31人、こうなって村内でも結婚できず、またこんな貧しい村への嫁にきてもない。
その為だろうか、独身者が多い、このように将来への見通しが立たなくなって廃村が決定されたのであろう。
これこそ、ヒマラヤからチベットにかけて多いと言われている。
廃村の厳しくも悲しい現実である。
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で^-^も、残ってるらしい、凄いな・・・・!
by talkeetna6194 | 2009-06-10 13:04 | HIMALAYA
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