Himalaya メモ 3 Dolpo
Dolpo の地域性
ネパール北西部、北は中国との国境をなし、他の三方はヒマラヤの高峰に囲まれたトルボ。
行政上のトルボ地方はかなりの広さがあり、大きく二つの部分に分けられる。
中国チベットとの国境をなす奥トルボ(アッパートルボ、インナートルボともいう)と、その手前の外トルボ(ロアートルボ、アウタートルボともいう)。
外トルボへは交通機関もあり地形的にも入りやすいが、奥トルボへは高い峠超えの道を何日も歩かねばならない。
ヒマラヤ特有の厳しい自然環境のそこには古くからチベット人が住んでおり、1959年に始まった中国政府のチベット支配に対抗したカンパ族ゲリラの拠点ともなった。
そして長い間奥トルボは、外国人の立ち入りが禁止されていた。
それゆえにトルボはいつまでも最後の秘境的な存在として、ヒマラヤの山々の彼方に隠されたままだった。
1992年、奥トルボは東に隣接する旧ムスタン王国と共に解禁されることになり、ヒマラヤの関心をもつ多くの人々の注目を浴びた。
ヒマラヤの王国のネパールの中でも、トルボは最も奥地にあると言ってよいだろう。
一番奥にあるティンギュー村やシーメン村までたどり着くには、5000M級の峠を、二つや三つを越さねばならない。
ネパールの首都、カトマンズからは片道最低10日間はかかるから、行って帰るだけでお3週間以上の日程を見ておかねばならない。
しかしこれは、トルボへの入り口となる地方の中心地、ジョムソンやドゥネイまで飛行機を使った場合だ。
村人たちには、金銭的な余裕もないし、ほとんどか自分の足を頼りに旅をする。
町に出ても飛行機ではなく、バスを使ったりするので、自分の家からはカトマンズまでは1ヶ月以上かかるという。
彼らにとってトルボは、旅人が感じる以上、ネパール最奥の地なのだ。
その道のりは、ヒマラヤの山々の懐につけられた険しい道を縫うように進むことになる。
ほとんどの道は、谷沿いにつけられていて、谷を詰め峠に出れば、また次の谷に下る。それを何度となく繰り返す、登ったり下ったり多い道だ。
厳しいところでは道幅が人ひとりがやっと通れるほどの狭さで、眼下の川の流れは遥か500Mも下だ。
道を踏み外せば、谷底に吸い込まれる激流に呑み込まれてしまう。
余裕があれば雲の下の散歩道だから、一歩間違えば地獄への道である。
ポクスムド湖の伝説
ガンジロバ・ヒマールを源流とし、ネパール最大の滝を従えるポクスムド湖は、ちょうど奥トルボへの西の入り口にある。
遠い遠い昔、この地に魔女が逃げてきた。チベット仏教の開祖パトマサムババ(グル・リンポチェ)に追われ、ようやくここまで逃げ延びてきたのだった。
魔女は、夜も遅いので一晩かくまってほしいと村人に哀願した。
決して悪さはしないから何処へでもいいから泊めてくれと頼んだ。
しかし魔女を恐れた村人たちは、一歩も家へ入れようとなしなかった。
しかたなく魔女は、村はずれの寺にかくまってもらうことにした。
その夜、一晩中ポタリポタリと水の滴る音が聞こえたという。
夜が明けると、大きな湖が出現していて、村はすっかり湖の中に沈んでしまtっていたという。
村人を憎んだ魔女の涙が、ポクスムド湖をつくったという伝説だ。
その他にも、黄金の仏像が沈んでいる、深さは1000M以上、あるいは底知れぬなどの話がある。突然出現したどこまでも青いこの湖を目の前にすると、そんな話もどこか真実味を帯びてくる。
ある詩人は、ポクスムド湖を、ヒマラヤの青い瞳と呼んだくらいだ。
{引用 写真集 ドルポ 大谷映芳}
1958年 川喜多二郎と隊長とする調査隊が入り、「鳥葬の国」という映画を作ったことが話題になった。
1999年 エリックヴァリ(監督・脚本)映画「キャラバン」
フランス、ネパール、イギリス、スイス合作。
10世紀ごろからチベット人が住んでおり、19世紀まではチベットのン・ガリ(西チベット)に属していた。
ネパール領になってからも、地理的には隔絶された場所だった為、カトマンズの政府と直接連絡が取れるようになったのは1963年だという。
このような環境のおかげで古い時代のチベット風習が色濃く残っている。
かつては、ネパール側からの麦や羊毛などを運び、岩塩をチベットから持ち帰った。
今では中国からの米、麦、を始め、ラーメン、ビール、お菓子などの食料や日常用品なども運ばれる。
人々の生活は少しずつ変化が伺えるが、トルボ地方特有の伝統文化は根深く息づいている。
あらかじめパーミットが必要。
ついこないだまでは、最初の10日間で$700、以降$70/日。
今は、最初の10日間で$500、以降$50/日。
ロッジは全くない、テント、食料、燃料などの重装備でのトレッキングになる。
平均海抜4000m以上で、ちょっとした峠になると5000m以上、山肌を這うようにトラバース、谷深い渓谷のアップダウンの高原になる。
ネパール北西部、北は中国との国境をなし、他の三方はヒマラヤの高峰に囲まれたトルボ。
行政上のトルボ地方はかなりの広さがあり、大きく二つの部分に分けられる。
中国チベットとの国境をなす奥トルボ(アッパートルボ、インナートルボともいう)と、その手前の外トルボ(ロアートルボ、アウタートルボともいう)。
外トルボへは交通機関もあり地形的にも入りやすいが、奥トルボへは高い峠超えの道を何日も歩かねばならない。
ヒマラヤ特有の厳しい自然環境のそこには古くからチベット人が住んでおり、1959年に始まった中国政府のチベット支配に対抗したカンパ族ゲリラの拠点ともなった。
そして長い間奥トルボは、外国人の立ち入りが禁止されていた。
それゆえにトルボはいつまでも最後の秘境的な存在として、ヒマラヤの山々の彼方に隠されたままだった。
1992年、奥トルボは東に隣接する旧ムスタン王国と共に解禁されることになり、ヒマラヤの関心をもつ多くの人々の注目を浴びた。
ヒマラヤの王国のネパールの中でも、トルボは最も奥地にあると言ってよいだろう。
一番奥にあるティンギュー村やシーメン村までたどり着くには、5000M級の峠を、二つや三つを越さねばならない。
ネパールの首都、カトマンズからは片道最低10日間はかかるから、行って帰るだけでお3週間以上の日程を見ておかねばならない。
しかしこれは、トルボへの入り口となる地方の中心地、ジョムソンやドゥネイまで飛行機を使った場合だ。
村人たちには、金銭的な余裕もないし、ほとんどか自分の足を頼りに旅をする。
町に出ても飛行機ではなく、バスを使ったりするので、自分の家からはカトマンズまでは1ヶ月以上かかるという。
彼らにとってトルボは、旅人が感じる以上、ネパール最奥の地なのだ。
その道のりは、ヒマラヤの山々の懐につけられた険しい道を縫うように進むことになる。
ほとんどの道は、谷沿いにつけられていて、谷を詰め峠に出れば、また次の谷に下る。それを何度となく繰り返す、登ったり下ったり多い道だ。
厳しいところでは道幅が人ひとりがやっと通れるほどの狭さで、眼下の川の流れは遥か500Mも下だ。
道を踏み外せば、谷底に吸い込まれる激流に呑み込まれてしまう。
余裕があれば雲の下の散歩道だから、一歩間違えば地獄への道である。
ポクスムド湖の伝説
ガンジロバ・ヒマールを源流とし、ネパール最大の滝を従えるポクスムド湖は、ちょうど奥トルボへの西の入り口にある。
遠い遠い昔、この地に魔女が逃げてきた。チベット仏教の開祖パトマサムババ(グル・リンポチェ)に追われ、ようやくここまで逃げ延びてきたのだった。
魔女は、夜も遅いので一晩かくまってほしいと村人に哀願した。
決して悪さはしないから何処へでもいいから泊めてくれと頼んだ。
しかし魔女を恐れた村人たちは、一歩も家へ入れようとなしなかった。
しかたなく魔女は、村はずれの寺にかくまってもらうことにした。
その夜、一晩中ポタリポタリと水の滴る音が聞こえたという。
夜が明けると、大きな湖が出現していて、村はすっかり湖の中に沈んでしまtっていたという。
村人を憎んだ魔女の涙が、ポクスムド湖をつくったという伝説だ。
その他にも、黄金の仏像が沈んでいる、深さは1000M以上、あるいは底知れぬなどの話がある。突然出現したどこまでも青いこの湖を目の前にすると、そんな話もどこか真実味を帯びてくる。
ある詩人は、ポクスムド湖を、ヒマラヤの青い瞳と呼んだくらいだ。
{引用 写真集 ドルポ 大谷映芳}
1958年 川喜多二郎と隊長とする調査隊が入り、「鳥葬の国」という映画を作ったことが話題になった。
1999年 エリックヴァリ(監督・脚本)映画「キャラバン」
フランス、ネパール、イギリス、スイス合作。
10世紀ごろからチベット人が住んでおり、19世紀まではチベットのン・ガリ(西チベット)に属していた。
ネパール領になってからも、地理的には隔絶された場所だった為、カトマンズの政府と直接連絡が取れるようになったのは1963年だという。
このような環境のおかげで古い時代のチベット風習が色濃く残っている。
かつては、ネパール側からの麦や羊毛などを運び、岩塩をチベットから持ち帰った。
今では中国からの米、麦、を始め、ラーメン、ビール、お菓子などの食料や日常用品なども運ばれる。
人々の生活は少しずつ変化が伺えるが、トルボ地方特有の伝統文化は根深く息づいている。
あらかじめパーミットが必要。
ついこないだまでは、最初の10日間で$700、以降$70/日。
今は、最初の10日間で$500、以降$50/日。
ロッジは全くない、テント、食料、燃料などの重装備でのトレッキングになる。
平均海抜4000m以上で、ちょっとした峠になると5000m以上、山肌を這うようにトラバース、谷深い渓谷のアップダウンの高原になる。
by talkeetna6194
| 2009-04-22 16:21
| HIMALAYA