Himalaya メモ 2 MUGU
ムグの地域性について
ちょいちょい覚えていきたとこをまとめていこうと思う〜
1971年秋、当時まだ地形的概念も明らかにされていなかったガンジロバヒマールの北東部分に、関西の紫岳会と大阪山の会が合同で登山隊を送り、それまで謎の多かった周辺地形を明らかにするとともに、その地の一高峰(6556M)に登頂して、ツォカルポカンと命名した。
ちなみに、こちらです。
2年前、シェー山周回巡礼中撮影〜!
この時登頂されたMさんも一緒に巡礼した、とっても光栄でした!
その時、持ち帰った頂上からの360度のパノラマ写真はガンジロ山北方のムグ地方から、東トルボやムスタンにかけての山岳重畳する複雑なネパール・チベットの国境山脈を写し出していた。
その山脈の大部分は、標高6000M前後の鋭い岩峰によって占められているが、ほば北の方角、地図上のパルチュンハムガヒマールと表示されている国境山脈の中には、標高が6500M以上はあると思われるピークが表示されている国境山脈の中には、標高が6500M以上はあると思われるピークが数座望見された。
しかし、古いインド測量局の地図(25万分の1、1925〜6年測量)では、それを同定することは非常に困難だった。
現在カンティヒマールと呼ばれているこの山群の主峰(6859M)であることがわかったのは、ネパール政府が新しい中国国境協定(1979年)を結んで以後、その国境ラインと測量資料ともって作成されたネパール全図(50万分の1/1985年)や、それ以後刊行された、ジラマップと呼ばれているネパール郡別地図(12万分5千分のデヴァナガリ)によってであった。
しかし、このカンティヒマール山群が位置するムグおより、西部トルボ地方の山々への登山やトレッキングは、数回の申請にもかかわらず、未だに正式な許可がえれないのが現状である。
しかし、ネパール、ヒマラヤへの扉が開かれて50年以上になろうとする現在まで、この山が近接写真さえ一枚もないという、全く未知なままの状態でのこされてきた所似である。
以上のような経緯を得て、大阪山の会は、1997年と第一次として、2000年までの四次にわたる計画で、トルボ地方から、ネパール最北西部のナラカンカール山群に至る、全長約300キロにわたる、(知らざれるネパール/中国国境山脈)の調査を計画した。
1999年までに三次にわたり、東のトルボからチャンラヒマールまで、ほぼ3分の2の地域を突破することが出来た。
すなわち、1997年4月から6月にかけては、カンティヒマール主峰へのおよび、北西からの接近と、ムグコーラ左岸の国境周辺の調査。
1998年8月から11月にかけて、カンティヒマールの南西からの接近ルートと、ムグ北方の峠、ナムジャラ周辺の山群、およりムグから西へ峠超えして、ゴラクヒマール南綿の長い未知の谷、(タンケコーラ)をたどり、フムラカルナリ河に出て、シミコッとを経由して、南北の広大な山域を有するチャングラヒマールの西を歩き、その北端のチャングラ(6563M)の南西支峰に登頂。
1999年6月から8月にかけて、東部のトルボ北方の国境山脈から、前年のカンティヒマール南西を結ぶ地方を調査して、数多いトルボの北方の峠の地理的な位置と、その山々の詳細を明らかにすることが出来た。
2000年フムラカルナリのシミコットを基点として、チャングラの西に伸びるチャンディヒマール、最北西のナラカンカールヒマールまでの山域に入り、国境山脈周辺の一連を調査。
{引用}The Journal of The Japanese Alpine
山岳1999年 日本山岳会 大阪山の会 Y様&O様!
ちょっと前に突然メールを頂いたSさん、ザンスカールでの写真に衝撃を食らった。
HPは、とっても渋い〜!!今一番好きな写真家であり、目指したい写真^^
ムグに行かれてた頃があると聞き、じっくり見て行ったら見っけ!
http://terra-jp.net/mt/archives/2003/11/26/1902.php
ちょいちょい覚えていきたとこをまとめていこうと思う〜
1971年秋、当時まだ地形的概念も明らかにされていなかったガンジロバヒマールの北東部分に、関西の紫岳会と大阪山の会が合同で登山隊を送り、それまで謎の多かった周辺地形を明らかにするとともに、その地の一高峰(6556M)に登頂して、ツォカルポカンと命名した。
ちなみに、こちらです。
2年前、シェー山周回巡礼中撮影〜!
この時登頂されたMさんも一緒に巡礼した、とっても光栄でした!
その時、持ち帰った頂上からの360度のパノラマ写真はガンジロ山北方のムグ地方から、東トルボやムスタンにかけての山岳重畳する複雑なネパール・チベットの国境山脈を写し出していた。
その山脈の大部分は、標高6000M前後の鋭い岩峰によって占められているが、ほば北の方角、地図上のパルチュンハムガヒマールと表示されている国境山脈の中には、標高が6500M以上はあると思われるピークが表示されている国境山脈の中には、標高が6500M以上はあると思われるピークが数座望見された。
しかし、古いインド測量局の地図(25万分の1、1925〜6年測量)では、それを同定することは非常に困難だった。
現在カンティヒマールと呼ばれているこの山群の主峰(6859M)であることがわかったのは、ネパール政府が新しい中国国境協定(1979年)を結んで以後、その国境ラインと測量資料ともって作成されたネパール全図(50万分の1/1985年)や、それ以後刊行された、ジラマップと呼ばれているネパール郡別地図(12万分5千分のデヴァナガリ)によってであった。
しかし、このカンティヒマール山群が位置するムグおより、西部トルボ地方の山々への登山やトレッキングは、数回の申請にもかかわらず、未だに正式な許可がえれないのが現状である。
しかし、ネパール、ヒマラヤへの扉が開かれて50年以上になろうとする現在まで、この山が近接写真さえ一枚もないという、全く未知なままの状態でのこされてきた所似である。
以上のような経緯を得て、大阪山の会は、1997年と第一次として、2000年までの四次にわたる計画で、トルボ地方から、ネパール最北西部のナラカンカール山群に至る、全長約300キロにわたる、(知らざれるネパール/中国国境山脈)の調査を計画した。
1999年までに三次にわたり、東のトルボからチャンラヒマールまで、ほぼ3分の2の地域を突破することが出来た。
すなわち、1997年4月から6月にかけては、カンティヒマール主峰へのおよび、北西からの接近と、ムグコーラ左岸の国境周辺の調査。
1998年8月から11月にかけて、カンティヒマールの南西からの接近ルートと、ムグ北方の峠、ナムジャラ周辺の山群、およりムグから西へ峠超えして、ゴラクヒマール南綿の長い未知の谷、(タンケコーラ)をたどり、フムラカルナリ河に出て、シミコッとを経由して、南北の広大な山域を有するチャングラヒマールの西を歩き、その北端のチャングラ(6563M)の南西支峰に登頂。
1999年6月から8月にかけて、東部のトルボ北方の国境山脈から、前年のカンティヒマール南西を結ぶ地方を調査して、数多いトルボの北方の峠の地理的な位置と、その山々の詳細を明らかにすることが出来た。
2000年フムラカルナリのシミコットを基点として、チャングラの西に伸びるチャンディヒマール、最北西のナラカンカールヒマールまでの山域に入り、国境山脈周辺の一連を調査。
{引用}The Journal of The Japanese Alpine
山岳1999年 日本山岳会 大阪山の会 Y様&O様!
ちょっと前に突然メールを頂いたSさん、ザンスカールでの写真に衝撃を食らった。
HPは、とっても渋い〜!!今一番好きな写真家であり、目指したい写真^^
ムグに行かれてた頃があると聞き、じっくり見て行ったら見っけ!
http://terra-jp.net/mt/archives/2003/11/26/1902.php
by talkeetna6194
| 2009-04-12 09:59
| HIMALAYA