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カテゴリ:HIMALAYA( 10 )

地域研究画像デジタルライブラリ

西北ネパール地域の写真のアーカイブ化!

地域研究画像デジタルライブラリプロジェクト!!

遠征中に連絡を頂いていたのだけど、FBで帰国後に見ました。
ずっとずっと願い続けていた事でした。
今回の遠征中も故・大西保さんの偉大さを改めて感じていたのです。
人生かけて歩んできた西北ネパールの軌跡。

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by talkeetna6194 | 2016-11-19 19:39 | HIMALAYA

黄檗文華・第134号。

黄檗山萬福寺文華殿・黄檗文化研究所。

高山龍三先生の枠で一部、書かせて頂きました^^!
今までやってきた事がこうして形になり、めっちゃ嬉しいです。
ありがとうございます!

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by talkeetna6194 | 2015-08-12 19:26 | HIMALAYA

民族博物館

東南アジアと南アジアの展示が新しくなりました!
先日、やっとこさ行けた♪
中でも、やはり、こちら!
Dolpoです~\(^o^)/
遠目で分かった、ドキドキした、笑^^

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by talkeetna6194 | 2015-06-16 01:39 | HIMALAYA

ヒマラヤ巡礼

ヒマラヤ巡礼 ディヴィット スネグローブ著 吉永定雄訳 
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吉永さんからお電話頂き、ご自宅に遊びに行ってきたーーーー^^

なんとも、わたしなんぞのアマチャンに声をかけて頂き、、、感謝感謝のお時間でした。
 
Dolpoを追いかけて、追いかけて、一人マイブームだった頃から想像すると・・・
全く、ほんまに想像出来ない世界である・・・。

嬉しさのあまり写真をプレゼントして^^
スライドショーも見て頂いて^^
吉永さんの話を聞かせて頂き、
時間は、あっちゅーーー間に過ぎてった。

写真を褒めてもらって、、、ほんまに嬉しかった。
昨年のDolpo遠征では1万枚ぐらい撮った、でもまだ撮り足りないと思ったけど。
ほんまにDolpoの研究者の方に見て頂き、私にとってこれ以上の物はない。

どこか写真展の賞を取るよりも、嬉しい^^

ちなみに、大きな賞を撮ったことないけどね・・・笑
小さいのんなら、過去にあるけど、笑、、、

バラサーブも今また写真を使って頂いている。
今月また発売される登山時報に使ったよーと連絡があった。
そして、Dolpoの最新の地図を早速送ってくれた。
ほんま、これは、もう、嬉しすぎる!!
http://plaza.rakuten.co.jp/typhoondolpo/

やっぱりーーー!追いかける!!まだまだ^^!!!
こんなに好きなことあるのに、やめる理由なんて、ない^^

バラサーブが教えてくれた、写真ポイント^^
ティンキューにて
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本の表紙と同じだ^^
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ガスってたら遠くに見える、クーラカン&カンテガは見えない。
去年、どうかなーーーって思ったら、天気悪かったけど、見えた^^
このドンヨリ感がまたより一層モノクロの表紙を思い出させた。
そして、そのカンテガをアップにしてみる・・・。6060m.
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2007年、始めてのDolpo遠征の時。
未踏峰だった、バラサーブ達が一次隊で初登頂、そして、次の日に二次隊で登らせて頂いた。
その時一緒に登ったのが、M谷さん、I沢さん、チェパ。
M谷さんは、吉永さんと1971年ツォ カルポカンを初登頂された方。
記録を読むと、面白いというか、凄い!
ポカラから歩いてツォカルポ カンのBCまで、27日目間だ。
そういえば、去年の遠征中の6000m峰のBCまで同じぐらいかかってるかも、しれない・・・、まだ
数えてないけど、今度数えてみよう^^

1971年、カンジロバヒマールは、ネパールでも最も奥地に位置するために、過去きわめてわすがの登山隊がこの地に訪れたに過ぎず、特にこの山群の東部は、従来、全くの地図上の空白部として残されていた。その部分に位置する高峯の登頂は、単に処女峯の初登というに止まらず、それによって周辺の未知の谷や山稜の地形的解明に、重大な意義を有するものだった。(引用)

ツォ カルポカン(6556M)
これは、2007年シェー巡回巡礼中にお目にかかれた。
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その後、2009年、ムグからトルボへの横断中、ヤンブルバンジャンでも、お目にかかれた^^
でも、私はその時、気付かなかったんだけどね・・・。
あの時は、真っ暗の中、シェルパと出発した、、、バラサーブはすでにの出発していて遠くに光ってるヘッドランプだけが頼りで歩いてた。
あの横断路も、一生忘れない旅となっている^^
とりあえず・・・凄過ぎて、毎日が楽し過ぎた^^

http://plaza.rakuten.co.jp/typhoondolpo/diary/201101220000/
昨日も、昔の話を聞かせてもらった。
Dolpoにも、中国が攻め込んで来た頃があった。
私は、国境があるから入ってこないと思っていた。
そんなのあってないようなもんだよっ、
Dolpoで年配の方の話を聞くといいよ、知ってる人、いるかもしれないよ、まだ。。。
日本でもそうやけど、昔の話、生の声は貴重だ。
まだまだ勉強が足りない、もっと知りたいーー^^と思った。

二回目の成人式!きてから、色々考えてる。
いろんな妄想してる中、固めていこうと思っている。
30代、一瞬だったもん、、、笑、好きなこと追いかけてたらあっちゅー間に過ぎてった。
だから、この40代は、もっと早いだろうから、頭ん中、固めていかなあかん^^
去年、12年に一度のShey Festival 2012に参加して、次の2024年も行くぞと誓った^^
それは、変わらない、50代乗っかってるけどーー笑!!
その為にも、ずっと歩き続けなければならないー!
馬、使ってるかも?!笑、、いや、いや、歩くぞ^^

好きな事を追いかけ続けてほんま良かった(涙)

ほんまにありがとうございましたーーーーーーーーーーーー!!
by talkeetna6194 | 2013-08-04 01:31 | HIMALAYA

ポン教

昨日、ミンパクの企画展、チベット・ポン教の神がみ、行ってきた~。
こないだは、せっかく行ったのに、、、インフルレンザで閉まっていた。
ガーーーン、、せっかくここまで来たのに、キレかけた!?
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今回はちゃんと確認しての出発~。
ポン教とは、なんぞや?!
そんなん難しいでありますが、、私はとても興味深く、ポン教のお寺に行っておりますんで、、勉強っせなあっかんーと思って行った。
でも、難しいや~。でも好きなんだあ~この世界~?!

ポン教 

孤立したヒマラヤの避村には、今でもポン教徒とお寺が存在している。
このポン教とは、一帯どういうものなのであろうか?
北インドで興った仏教が、チベットへ入ったとき、その土着の宗教として結合して、多分に変形していった。
この仏教がいわゆるラマ教であるが、チベット固有の進行がポン教と目される。
しかし、このポン教自身も遂にラマ教(チベット仏教)に刺激され、組織化されて制度化されたのである。
西北ネパールのトルボ地方のポン教は、原始的なそれでなく、ラマ教強された方のポン教である。
だから、うっかり見過ごす程の差異しかない。

ポン教は、ラマ教とどこか違うのだろう?
例えば経石塚や仏塔のそばを通るとき、右側通行か、左側通行かというのが違っている。
マニ車の廻しかた、仮面のおどりの輪舞の廻り方、東西南北の呼び方などすべて両派で反対である。
ラマ教徒は時計廻り、ポン教徒は反時計廻りである。

ラマ教徒が、「オンマニペメフム」と経文を唱えれば、ポン教徒は、「オムマティムイェサレドゥ」と祈る。
月例集会も別々で行う。

引用  
[ヒマラヤ / 秘境に生きる人びと]
川喜多二郎氏・高山龍三氏  昭和37年発行   

このぐらいは、チベットに行った人なら誰でも知ってるだろう~

で、難しいことは、置いといて。。って、置いといたらあかん、ちゃんと本、買ってきた、
出発までに読めるだろうか?!!!!
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ぺらぺら捲ってみたけど、やっぱ難しいや~笑

トルボの玄関口というのだろうか、ツァルカ村でみた、ポン教のお寺。
それは、川を挟んで対岸越しある。
なんでそんなとこにあるねーん?!っと、突っ込み入れたくなるような・・笑
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1958年撮影 高山龍三氏 
っで、たどり着いた先は、こちら...
私撮影、2007年、でも、綱渡りしてません、縄はあったけど~。
上から見ると~縄、見えるね。
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今は、危ないから使ってない、馬で渡渉していたのを見た。
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バクチャム(仮面踊り) 
ポン教徒・反時計まわり・ツァルカにて  1958年撮影 高山龍三氏 
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この辺りの1958年代の写真を見ていると、全然変わってない!?!
1958年撮影 高山龍三氏
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2007年撮影 私
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っで、気になったのがこの角度からの写真、ヘコピークが遠くに見える。
1958年撮影 高山龍三氏
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2007年撮影 私
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似てる・・・・同じ場所かな、当時もこのヘコピークが目印になってたらしい。
山は、いろんな角度で違う山に見えてしまうけど、このヘコピークだけはどこから見てもこの形に見えるからだって、納得~!
あ、話がそれてきたかな、、もどそう。。。
ポン教のマンジ 2007年撮影 私
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お寺の中  2007年撮影 私
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ポンパ・タシ・ギャルチェン2007年撮影 私
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で、今回の遠征でもポン教のお寺ありです、サムリンゴンパ!
さて、どんなどころにあるのだろうか!?とても楽しみなのだ~!

あと、ほろびゆく村、ポパー。
トルボ地方の果てにあるポパー村は、今はもうなくなっているかもしれない。。。
っと、ヒマラヤ・秘境に生きる人びと(昭和37年発行)に書いてるけども、バラサーブから滅んでないでーこの村~っと、聞いている。
それを自分の目で見てみたいのだ!

引用すると・・・
この村を訪れた最初の外国人である我々は(川喜多二郎隊)、この村が3年先に放棄され、村人が分散していくだろうと聞かされたからである。
氷河が融けて、湧き出る水がかれてきたのであろうか。
棄てられた畑のあとがあちこちにある。
人間も流れ出ていったのか、空家もある。
人口は、31人、こうなって村内でも結婚できず、またこんな貧しい村への嫁にきてもない。
その為だろうか、独身者が多い、このように将来への見通しが立たなくなって廃村が決定されたのであろう。
これこそ、ヒマラヤからチベットにかけて多いと言われている。
廃村の厳しくも悲しい現実である。
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で^-^も、残ってるらしい、凄いな・・・・!
by talkeetna6194 | 2009-06-10 13:04 | HIMALAYA

Himalaya メモ 5  ムグからトルボへの横断

ムグからトルボへの横断するには、二つのルートがある。

ラングラ・コーラとの出合、ティアンゴンパ横の路からダルプー村へ。。。

そして、ラングーコーラのルートとムグ村南のチャールコーラ(インド測量局地図では、チャングコーラ)からチャールゴラ・ラ5080M(インド測量局地図ではゴラ・ラ5182M)を超えて、カンティハイエストへの谷、タクラ・コーラの倒木を渡り、チャンディ峰西え流れる三角州になってる4400Mの峠(西北ネパール探検隊の分隊の故・西岡さん達が到達した峠で遠くにカルマロンを見た)という峠がある。
ここから彼らは、きびすを返し、再びヤラ・ラを超えて、トルボ最西奥の村、ポへと戻った。

記録としては・・・

ナムラン(ラングーコーラ)は同志社大の二人、東京山旅倶楽部の二人が既にやっていて、トルボからムグへは1999年に大阪山の会のバラサーブ&takeの二人が山側をトルボから横断した。
今回は2000年、あのテイッヒーと息子の友人達は、ポクスムド湖からディユパルから飛行機でネパールガンジーへのルートで出た。
このルートは、1998年にインド女子全ネパール横断隊、2007年UK全ネパール横断トレッキング隊が行っていて、その他数隊のトレッカーが実施している。

我々(バラサーブ)は、往復横断を試みるのとポクスムド湖からThuli Bheli River.Barbung Khola を歩き、Mu経由でジョムソンへ出るという雄大な計画なのだ。

ちなみに私はムグからトルボへ横断し、ポクスムドからディユパルへ、そして飛行機でネパールガンジーへ、一人抜けます・・・全部ついていきたんだけど。。。

そして、そして、今一番大好きなカメラマン~庄司康治さん
凄い・・・・読めば読むほど凄い・・・・!奥が深い~!!!
ムグも、もちろん行かれてます~。
っで、経験豊かなアドバイスを頂いております。感激です!
ありがとうございます~!!
http://terra-jp.net/mt/archives/everest.php?page=2#000239ex
興味のある方、読んでみて、すごいっす。
そして、ギターも上手過ぎ~。いつかヒマラヤで聞きたい~!お願いします^^
by talkeetna6194 | 2009-06-03 12:14 | HIMALAYA

Himalaya メモ 4 先蹤者たち

まず、ネパールの歴史について少し触れてみる。
18世紀の半ばから始まったラナ家による専制統治から約200年のあいだ、ネパールは厳重な鎖国政策のもとに置かれていた。
1814年に起きたイギリスとの戦争は、1816年、インドのスガウリでの講和条約で終結し、それまでゴルカの領土拡大政策によって併合領有していたインドのクマウンやガルワルを放棄して、ほぼ現在のネパールに近い領土が確立された。
その後の協定によって、カトマンズにもイギリスの公使の駐在が認められるようになったが、その駐在官でさえ、ネパール国内の限られた地域以外に旅をすることは禁止されていた。
インド政府もまた、イギリス人が北の国境を越えることを禁じていたため、ネパール国内は依然として全くの地図の空白部のままだったのである。
当時、インド全土からチベットにかけての測量を進めていたインド測量官は、なんどかその空白部を埋めるべく、ヒマラヤの山地民の選ばれた者に測量についての教育を施し、ラマ僧、巡礼、商人などに変装させて、測量員を送り込めないヒマラヤ諸国やチベットに密偵として送り込んだ。
彼らは、パンディット(ヒンズー教徒の学者の意)と呼ばれた。
彼らが活動したのは、1865年からのほど20年ほどの期間であったと思われる。
数珠の玉を108個から100個に改造して歩測計としたり、携帯するマニ車の中に記録紙を忍ばせるなど、まともな測量器具がないなかでも、彼らはかなりの精度の高い結果を持ち帰ることが出来た。

西ネパール内部の旅の記録としては・・・・。

1865年にマニ・シンというパンディットが、カトマンズから西に横断してインドに帰還。

1873年に、西のインド国境ピトラガールからカリガンダキに出て、ムスタンからチベットのツァンポー河沿いのタドムを往復してカリガンダキ河を下った、ハリ・ラムというパンディットの記録がある。

また、スウェーデンの探検家、かのスウェン・ヘディンは、彼の第3回チベット探検の途中、1907年7月4日に、北側のチベット高原の、もっともトルボ地方に近いあたりを通っているが、ヘディンは、その膨大な学術報告書「サザン・ティベット(南チベット)」の中で、記録している。

ネパールの近代化に貢献したことで名高いラナ家第六代の宰相チャンドラ・シャムシェールは、1923年、英国とのあいだに友好条約を結ぶことによって、ネパールの完全な独立を公式に認めさせ、インド測量官に対し、初めてネパール全土の測量と地図の製作を許可した。
これを受けて1925年以降数年にわたって、初めてのネパール全土の測量が実施された。

ネパール開国後直後の1950年から、いち早くネパール全土の広範囲を歩いたのは、スイスの地質学者トニー・ハーゲンであった。
西ネパールでの足跡は、ツァルカからインナー・トルボには入ってないようである。

ってことで、先に述べたパンディットの探検を除けば、トルボを歩いた外国人は、1900年の河口慧海が最初だったということになる!

そして、トルボの地に、はじめて本格的な民族調査を行ったのは、1958年の川喜田二郎氏を隊長とする西北ネパール学術登山隊であった。

川喜田隊長の報告、(西北ネパールの山旅、山岳1959年号)の冒頭の文を少し引用してみると。。。

トルボがどうして私を惹きつけたのだろう。
ある一つの理由は、地図を開いてみればよく判る。
つまりそこは、ネパール領内で、一番高い土地なのである。
もっと東に行けば、マナスルとかエヴェレストとか、カンチェンジュンガといった高峰は沢山あるが、それらの地方は、山だけが高くて、谷間は案外低いのである。
トルボより西北へ行っても同じで、低い谷間からアピ、ナンパとかの高峰が孤立してるにすぎない。
これに反してトルボ一帯は、格別高い山こそなかれ、土地全体は、ヒマラヤ切っての高い地方である。
そこは、トルボこそまさにチベット高原の一角というべき「世界の屋根」であろう。

{引用 写真集  ドルボ 大谷映芳   解説・吉永定雄}

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世界の屋根・サルダンより
by talkeetna6194 | 2009-05-13 17:06 | HIMALAYA

Himalaya メモ 3 Dolpo

Dolpo の地域性

ネパール北西部、北は中国との国境をなし、他の三方はヒマラヤの高峰に囲まれたトルボ。
行政上のトルボ地方はかなりの広さがあり、大きく二つの部分に分けられる。
中国チベットとの国境をなす奥トルボ(アッパートルボ、インナートルボともいう)と、その手前の外トルボ(ロアートルボ、アウタートルボともいう)。
外トルボへは交通機関もあり地形的にも入りやすいが、奥トルボへは高い峠超えの道を何日も歩かねばならない。
ヒマラヤ特有の厳しい自然環境のそこには古くからチベット人が住んでおり、1959年に始まった中国政府のチベット支配に対抗したカンパ族ゲリラの拠点ともなった。
そして長い間奥トルボは、外国人の立ち入りが禁止されていた。
それゆえにトルボはいつまでも最後の秘境的な存在として、ヒマラヤの山々の彼方に隠されたままだった。
1992年、奥トルボは東に隣接する旧ムスタン王国と共に解禁されることになり、ヒマラヤの関心をもつ多くの人々の注目を浴びた。

ヒマラヤの王国のネパールの中でも、トルボは最も奥地にあると言ってよいだろう。
一番奥にあるティンギュー村やシーメン村までたどり着くには、5000M級の峠を、二つや三つを越さねばならない。
ネパールの首都、カトマンズからは片道最低10日間はかかるから、行って帰るだけでお3週間以上の日程を見ておかねばならない。
しかしこれは、トルボへの入り口となる地方の中心地、ジョムソンやドゥネイまで飛行機を使った場合だ。
村人たちには、金銭的な余裕もないし、ほとんどか自分の足を頼りに旅をする。
町に出ても飛行機ではなく、バスを使ったりするので、自分の家からはカトマンズまでは1ヶ月以上かかるという。
彼らにとってトルボは、旅人が感じる以上、ネパール最奥の地なのだ。
その道のりは、ヒマラヤの山々の懐につけられた険しい道を縫うように進むことになる。
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ほとんどの道は、谷沿いにつけられていて、谷を詰め峠に出れば、また次の谷に下る。それを何度となく繰り返す、登ったり下ったり多い道だ。
厳しいところでは道幅が人ひとりがやっと通れるほどの狭さで、眼下の川の流れは遥か500Mも下だ。
道を踏み外せば、谷底に吸い込まれる激流に呑み込まれてしまう。
余裕があれば雲の下の散歩道だから、一歩間違えば地獄への道である。

ポクスムド湖の伝説

ガンジロバ・ヒマールを源流とし、ネパール最大の滝を従えるポクスムド湖は、ちょうど奥トルボへの西の入り口にある。

遠い遠い昔、この地に魔女が逃げてきた。チベット仏教の開祖パトマサムババ(グル・リンポチェ)に追われ、ようやくここまで逃げ延びてきたのだった。
魔女は、夜も遅いので一晩かくまってほしいと村人に哀願した。
決して悪さはしないから何処へでもいいから泊めてくれと頼んだ。
しかし魔女を恐れた村人たちは、一歩も家へ入れようとなしなかった。
しかたなく魔女は、村はずれの寺にかくまってもらうことにした。
その夜、一晩中ポタリポタリと水の滴る音が聞こえたという。
夜が明けると、大きな湖が出現していて、村はすっかり湖の中に沈んでしまtっていたという。
村人を憎んだ魔女の涙が、ポクスムド湖をつくったという伝説だ。
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その他にも、黄金の仏像が沈んでいる、深さは1000M以上、あるいは底知れぬなどの話がある。突然出現したどこまでも青いこの湖を目の前にすると、そんな話もどこか真実味を帯びてくる。
ある詩人は、ポクスムド湖を、ヒマラヤの青い瞳と呼んだくらいだ。

{引用  写真集 ドルポ 大谷映芳}

1958年 川喜多二郎と隊長とする調査隊が入り、「鳥葬の国」という映画を作ったことが話題になった。
1999年 エリックヴァリ(監督・脚本)映画「キャラバン」
フランス、ネパール、イギリス、スイス合作。

10世紀ごろからチベット人が住んでおり、19世紀まではチベットのン・ガリ(西チベット)に属していた。
ネパール領になってからも、地理的には隔絶された場所だった為、カトマンズの政府と直接連絡が取れるようになったのは1963年だという。
このような環境のおかげで古い時代のチベット風習が色濃く残っている。
かつては、ネパール側からの麦や羊毛などを運び、岩塩をチベットから持ち帰った。
今では中国からの米、麦、を始め、ラーメン、ビール、お菓子などの食料や日常用品なども運ばれる。
人々の生活は少しずつ変化が伺えるが、トルボ地方特有の伝統文化は根深く息づいている。

あらかじめパーミットが必要。
ついこないだまでは、最初の10日間で$700、以降$70/日。
今は、最初の10日間で$500、以降$50/日。
ロッジは全くない、テント、食料、燃料などの重装備でのトレッキングになる。
平均海抜4000m以上で、ちょっとした峠になると5000m以上、山肌を這うようにトラバース、谷深い渓谷のアップダウンの高原になる。
by talkeetna6194 | 2009-04-22 16:21 | HIMALAYA

Himalaya メモ 2 MUGU

ムグの地域性について

ちょいちょい覚えていきたとこをまとめていこうと思う〜

1971年秋、当時まだ地形的概念も明らかにされていなかったガンジロバヒマールの北東部分に、関西の紫岳会と大阪山の会が合同で登山隊を送り、それまで謎の多かった周辺地形を明らかにするとともに、その地の一高峰(6556M)に登頂して、ツォカルポカンと命名した。

ちなみに、こちらです。
2年前、シェー山周回巡礼中撮影〜!
この時登頂されたMさんも一緒に巡礼した、とっても光栄でした!
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その時、持ち帰った頂上からの360度のパノラマ写真はガンジロ山北方のムグ地方から、東トルボやムスタンにかけての山岳重畳する複雑なネパール・チベットの国境山脈を写し出していた。
その山脈の大部分は、標高6000M前後の鋭い岩峰によって占められているが、ほば北の方角、地図上のパルチュンハムガヒマールと表示されている国境山脈の中には、標高が6500M以上はあると思われるピークが表示されている国境山脈の中には、標高が6500M以上はあると思われるピークが数座望見された。
しかし、古いインド測量局の地図(25万分の1、1925〜6年測量)では、それを同定することは非常に困難だった。


現在カンティヒマールと呼ばれているこの山群の主峰(6859M)であることがわかったのは、ネパール政府が新しい中国国境協定(1979年)を結んで以後、その国境ラインと測量資料ともって作成されたネパール全図(50万分の1/1985年)や、それ以後刊行された、ジラマップと呼ばれているネパール郡別地図(12万分5千分のデヴァナガリ)によってであった。

しかし、このカンティヒマール山群が位置するムグおより、西部トルボ地方の山々への登山やトレッキングは、数回の申請にもかかわらず、未だに正式な許可がえれないのが現状である。
しかし、ネパール、ヒマラヤへの扉が開かれて50年以上になろうとする現在まで、この山が近接写真さえ一枚もないという、全く未知なままの状態でのこされてきた所似である。

以上のような経緯を得て、大阪山の会は、1997年と第一次として、2000年までの四次にわたる計画で、トルボ地方から、ネパール最北西部のナラカンカール山群に至る、全長約300キロにわたる、(知らざれるネパール/中国国境山脈)の調査を計画した。

1999年までに三次にわたり、東のトルボからチャンラヒマールまで、ほぼ3分の2の地域を突破することが出来た。
すなわち、1997年4月から6月にかけては、カンティヒマール主峰へのおよび、北西からの接近と、ムグコーラ左岸の国境周辺の調査。

1998年8月から11月にかけて、カンティヒマールの南西からの接近ルートと、ムグ北方の峠、ナムジャラ周辺の山群、およりムグから西へ峠超えして、ゴラクヒマール南綿の長い未知の谷、(タンケコーラ)をたどり、フムラカルナリ河に出て、シミコッとを経由して、南北の広大な山域を有するチャングラヒマールの西を歩き、その北端のチャングラ(6563M)の南西支峰に登頂。

1999年6月から8月にかけて、東部のトルボ北方の国境山脈から、前年のカンティヒマール南西を結ぶ地方を調査して、数多いトルボの北方の峠の地理的な位置と、その山々の詳細を明らかにすることが出来た。

2000年フムラカルナリのシミコットを基点として、チャングラの西に伸びるチャンディヒマール、最北西のナラカンカールヒマールまでの山域に入り、国境山脈周辺の一連を調査。

{引用}The Journal of The Japanese Alpine
山岳1999年 日本山岳会   大阪山の会  Y様&O様!

ちょっと前に突然メールを頂いたSさん、ザンスカールでの写真に衝撃を食らった。
HPは、とっても渋い〜!!今一番好きな写真家であり、目指したい写真^^
ムグに行かれてた頃があると聞き、じっくり見て行ったら見っけ!

http://terra-jp.net/mt/archives/2003/11/26/1902.php
by talkeetna6194 | 2009-04-12 09:59 | HIMALAYA

Himalaya メモ 1・地図

バラサーブに出会ってからHIMALAYAの世界が広がった。
そのことを大事にしたいから勉強しようーと思う!ってことで、間違ってたらバラサーブすみませぬ・・・・許されないだろうから・・・間違わないように頑張ります!

初めてお逢いしたとき、感激したのはこちらの地図。
だいたんにも、この地図を踏みながら説明してもらったのが衝撃だった。

え??踏んでるで~いいの??!笑・・・・思ったのだ。。

西ネパールを歩き、登り、研究し、並外れた感性を生かした頭の中がこの地図に書き尽くされてたいる。
どこからどの山が見えるか、標高は?、地名の発音は?、仙人の歩いたルートなど。
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これは、初めて西ネパールを歩いた時の地図、これしかなかったみたい。
え??っと思うような感じで、、等高線がない・・・・これで行ったんだぁ・・すげ~。。
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そしてこちらは、今回の遠征や、慧海師ルート(2年前に行った)が詳しく示されている。
ほんと信じられん世界だよなぁ、以前は私一人で盛り上がっていたんだー笑
それがバラサーブの遠征に入れてもらえたなんて、、まさかまさかの雲の上の世界だ~。
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こないだわからんかったから・・・ギブアップ・・・借りましたーーー!
だってロシア語わからんもん、、って言い訳?!!
答えをもらって、納得ーーー!
昨日は、イメトレしてみた、グーグルアースでも探してみた。
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地図見ながら谷を上がって上がって、、、人の気配がしないなーこの谷は。。。
間違えたか、、隣かなーー、もっと北かなーっと、見ていったら・・・。
あーーー、なんか気配感じるーーここ!!って思って北に上がっていったら・・・・・
見っけーーーここ?!MUGU!!!!!!!発見!!!
今更ながら、グーグルアースにもカンドーしてもうたーー笑
ぎょええーーーこんなとこに村があるのか?!
DOLPOを知った時、あん時もかなりびっくりしてソソラレたけど・・・・・・・。
ってここで、今回は、MUGUからDOLPOへの横断。
この辺りの勉強をしたいと思う!
がーーーー、これまたあんまり本がないんだぁ。。。。
英語が多い・・・わたしくし読めませんから・・、英語も勉強せなあきまへんな。
ヒマラヤ巡礼・初版&復刻版!!
日本版は、以前頂いた~、写真が違うんだぁ~。
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前回初めて周回巡礼したシェー山、その麓にあるシェースムドコンパ。
何年前になるかな・・・。
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ちなみに2年前。
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このアンモナイトはバラサーブが氷の回廊・ムスタンの旅で拾ってきてくれた!
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またもや頂き、石好きにはたまらんであります。
ありがとうございます!!
アッパームスタンは・・・まだ行ったことないんだぁ・・・
5年前のカグベニ&私^^
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カグベニのチェックポストを抜けると、きっとこうなっているだろうかと思う。
こちらは、何年前やったかな。
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うーん、、、何年前ってのを忘れている。。あかん。。また勉強しなおしや・。・
by talkeetna6194 | 2009-04-08 13:41 | HIMALAYA

日常への旅


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